汚家だった頃の汚れっぷり〈閲覧注意〉
わが家が汚家だった頃の汚写真を汚見せします。
2003年夏の私の私室です。当時のわが家には、お掃除、お片づけの概念は忘れ去られて天の彼方にありました。
うつ状態で寝込んでいたので、まず万年床。本は増える一方で、三つある本棚がいっぱいで、本棚の前にあふれた本がうずたかく積まれ、本棚の上にはパソコンソフトのパッケージがあふれるほど積まれ、行き場所の決まってないものが散乱…(以下略)。
『「捨てる!」技術』は持っていたものの、多分私は気力もあまりなく途方にくれていたと思います。
時は移り、2005年5月。体調が小康状態になり、『「捨てる!」技術』を片手にお片づけを決心したときのビフォー写真です。
まず私室。
あふれた本を収納して改善しようとした形跡がありますが、本が増えて状況は悪化しています。
そしてリビング。
なぜこういう状況になったのか記憶にありませんが、棚の前に荷物が積まれ、棚が機能していませんでした。
キッチンもさぞや…ええ、そうです。
この頃は生協に食材などを届けてもらうようになったので、それが棚の前に積まれ、食器棚の前もゴミが積まれ、機能不全状態。洗い物をため込んでいるのもお約束で、一家の主婦が機能していないとこうなるわけです。
廊下もひどかった。
右側は主人の荷物。左側は洗濯物山脈です。左側奥にある黄色の家電は私の母に押し付けられた乾燥機で、当然使えるわけもなくのちに捨てました。
再び私室に戻りまして仕事机の一角。
パソコンのモニタが右側に見えますね。この頃は仕事はノートパソコンでやっていたようです。仕事机は見事に物があふれてますので、仕事場として機能不全だったと思われます。
そして開かずの間の四畳半。家で唯一押し入れがある部屋です。
…え〜…このゴミの山の下にタンスなどが埋まっていて機能不全です。
もうこのくらいでいいでしょうか。
ごらんになってる皆さんも胸が悪くなってきたんじゃないかと思います。
この写真を撮影した後、こつこつと捨てました。捨て続けました。
家は五階建てマンションの五階にあり、エレベーターがなく、狭い階段を上り下りしなければいけないので大変です。その上金欠なので業者が呼べず、主人は非協力的でゴミをゴミ袋に捨てられない人だし、私は15分働くと気力が尽きて休む人だし、ゴミの捨て方はうるさい地域だし、いやあ、もう頑張ったと思います。
2005年7月のお玄関です。
下駄箱の上のディスプレイスペースで、前は汚いカラーボックスが置かれ、主人の自転車の道具がごちゃごちゃと山積みでした。強い意志を持って撤去。
ヤフオクで買った造花と招き猫、バリの絵を飾りました。
主人は当然憤りましたが、撤去したと言っても横になってたカラーボックスを縦に置いて、中身はカラーボックス用の引き出しに一段ずつ同じ物を入れただけです。
主人は以後現在に至るまで、カラーボックスの引き出しを開けていません。
主人も縄張り争いに負けて悔しいんでしょうが、「今まで使ってないってことは、全部ゴミなんじゃん」というのが私の感想です。
こつこつと頑張った末、2008年のお部屋です。
まだとっちらかってはおりますが、人が来たらささっと片づけられるレベル。この頃は池田暁子さんの「片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術」の影響を受けております。
この頃は舅が手作りしてくれたテーブルを机替わりにしていたの撤去しました。
パソコン一式の重みに耐えられずたわんでしまったので。舅からも「とりあえず廃材で作ったヤツだから、もっといいヤツが買えたら捨てて」と言われていたので、何とか思い切って。パソコン一式も壊れたので捨て、仕事はミシン机にノートパソコンでするようになりました。
そして2012年の仕事スペース。
まだとっちらかり気味ですが、ここまで来ました!
ニューマシン購入を機にデスクセットを買い、厳選した文具と画材、書類のみ、とり出しやすいように収納しました。
一年経っても使わない物とかあるのですが、私が持病のせいであまり仕事ができず使われていない物が大半なので、引き出しの中の断捨離は緩くやっていくつもりです。
衣類の断捨離は何度もしてきて、もうだいぶ服が少ないのですが、太ってしまって着れなくなったお気に入りがまだまだあり、最近また太って着る物が少ないなど、困りごとがたくさん。
まあ、ぼちぼちやっていきます。一日に15分〜30分程度。
こんまりさんの本も読み、片づけは祭り、というのもよくわかりますが、それは私が気力・体力が充実している日が来たら考えます。
お正月から最近まで寝込んでいたので、まずは体力作りと規則正しい生活からですね。
今日、やっとお風呂に入りました。そう、病人はお風呂に入るのも困難でばっちいのです。久しぶりに髪サラサラ。冷えがとれて体ほっかり。
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